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事件だ!事故だ!事件日記

事件だ!事故だ!事件日記
毎日、事件だ、事故だと騒がしい世の中です。せっかくリタイアして、これからのんびりと思ったのにそうもいかないようです。 いっそのこと、毎日の出来事の感想を残し、その時の臨場感あふれる感想を残してみようと考えました。 そんな音楽おじさんに付き合ってください。


冤罪事件ー小島事件

 
 
事件だ!事故だ!事件日記”のポップスおじさんです!
 
例の紅林警部補・捏造事件の第3弾、「小島事件」です。
 
事件は、昭和25年(1950年)静岡県小島村で主婦が自宅で殺され2500円を
奪われた。

発見時、薪割りのオノが主婦の頭に突き刺ったままだった。
6月19日、男(25)が別件逮捕された。被疑者にはアリバイがあったが、拷問で

犯行を自供し供述書を書かされた。
 

裁判の経過は、1952年 地裁が無期懲役判決。
1956年:高裁が一審判決を支持。
1958年:最高裁が差戻し。
1959年:高裁が無罪判決。

 
この事件も、かなり激しい拷問で、アリバイがあるのに虚偽の自白をさせ無期懲
役の判決まで持っていった、これもすべて紅林警部補が謀ったものであった。
 
この警察官は昭和38年に亡くなっているが、本当にひどい警察官もいたもので
ある。
 
現在にはこんなことが無いように望むものです。
 
この小島事件についてはコチラが詳しい。 → 小島事件
 
 
続きを読む

冤罪事件ー二俣事件(紅林警部補・捏造事件−2)

 
 

 ”事件だ!事故だ!事件日記”のポップスおじさんです!


 今回は、二俣事件、紅林警部補の捏造事件その第2弾です。
 
昭和25年(1950年),静岡県磐田郡二俣町で、一家4人が血まみれ
となって死んでいるのを長男が発見し二俣署に届けた。
 
容疑者は須藤満雄さん(当時18歳)で、本件について追及されて自白、第一審
の静岡地裁は、「死刑」を判決。
その後の最高裁は、自白の真実性を疑い、静岡地裁へ差し戻す。
差し戻し審の静岡地裁は無罪の判決をした。
 
問題は、例の紅林警部補の拷問取調べと捏造が行われたことです。
 
特に現職警官の内部告発による”拷問”が証言されたことです。
 
しかし、この警官は、「偽証」でそれは狂人であると精神鑑定され、その後免職
となり、しかも家まで不審火で焼かれてしまうという被害にあったのです。
 
この事件の詳しい経緯はこちらからどうぞ。 → 二俣事件

 
この紅林警部補、55歳でもう亡くなっているんですが、大変な警察官だったよ
うです。
この警部補について、もうしばらく調べてみようと思っています。
 

ちょっとひどすぎるんで。
 
 

なし

冤罪事件ー幸浦事件(紅林警部補・捏造事件その1)

 

 ”事件だ!事故だ!事件日記”のポップスおじさんです!

また、戦後の冤罪事件です。
 
昭和23年(1948年)、静岡県磐田郡幸浦村で、海岸近くの一軒家に住むHさん
一家4人{夫(34歳)、妻(28歳)、長男(5歳)、次男(1歳)}が突然姿を消した。
 
 翌年、近藤勝太郎さん(当時23歳)および小島敏雄さん(当時19歳)が別件の
窃盗容疑逮捕され、本件についての追及を受け、「自白」、死体探しが行われ、
最初に指し示した場所からは発見されず、一旦引き上げた後に再開された捜査
により一家4人の遺体が発見された。
 
ほかに強盗殺人の「共犯」とされた近藤糸平さん(当時45歳)も緊急逮捕され、
吉野信尾さん(当時38歳)も含め、近藤勝太郎さん・小島さんの4人が、この事
件に関して起訴された。
 
判決は「死刑」ほかであったが、昭和33年(1958年)に最高裁で無罪確定。
 
この事件の問題点は、例によって「自白」とそれに加えて、「証拠の捏造」であっ
たことです。
 
今回の捏造は、「秘密の暴露」つまり犯人しか知らないことを容疑者が供述する
ことで犯人と確定することだが、これを警察が捏造したというとんでもない事件
だったのです。
 
しかも「自白」には、火箸まで使って白状させたというひどさです。
 
この捏造に関与・指揮したのが紅林警部補で、彼にはほかにも捏造事件があった
のです。
 
  詳しい事件の内容はコチラでどうぞ。 → 幸浦事件(紅林警部補・捏造事件)


 

なし

冤罪事件ー榎井(えない)村事件

 
 
 
事件だ!事故だ!事件日記”のポップスおじさんです!
 
 
今回の事件は、榎井(えない)村事件です。


冤罪の犠牲になったのは、吉田勇さんでした。

 
事件の経緯
 
昭和21年(1946年)、香川県仲多度郡榎井村のTさん(43歳)が自宅内で射
殺された。
証言により、2人組の犯行と判断して捜査を開始した。
 
別の事件の検問にかかり身柄拘束された吉田勇さん(当時18歳)は、本件に
関して否認を続けたが、共犯とされた知人の供述により、本件の射殺犯とされ、
第一審の高松地裁は、「共謀」を認定し、吉田さんは「無期懲役」、知人は「懲
役6年」の判決を下した。
 
吉田さんは、無実を訴え控訴した。知人も否認したが、経済的負担の理由に
酔って刑期が確定した。
 
控訴審で吉田さんは、「懲役15年」を判決を受け、最高裁へ上告したが棄却
 となった。 
 
服役の後、1993年(平成5年)再審が決定し、1994年(平成6年)に高松高
裁は、本件につき無罪を宣言した。
 
冤罪のポイントは、共犯とされた知人の「自白」でした。
 
この「自白」は、取り調べ官の”偽計”を用いた虚偽自白の誘導によるものだ
った。
 
 詳しい事件の経緯についてこちらからどうぞ。→ 榎井(えない)事件
 
 
この事件での警察の詐欺まがいの取調べはひどいというより、醜悪そのもの
でした。
なし

冤罪事件ー梅田事件

 
 
”事件だ!事故だ!事件日記”のポップスおじさんです!
 
 
 
 冤罪事件! あってはならないことです。
 
 今回は、北海道で1950年(昭和25年)に起きた梅田事件です。
 
事件の経緯
 
事件は北海道北見市で起きた営林局の課員が公金を持ったまま行方不明となり、
 
2年後遺体で発見された。同じように他の公金関連殺人事件で捕まった犯人が、
 
この二つの事件の犯行を自白したが、罪を軽くすることを考え、共犯で梅田義光
 
さん(当時28歳)の名前を告げたため、梅田さんが共犯で逮捕された。
 
梅田さんは、取調べに「自白」をしたが、公判においては無実を訴え続けた。
 
1971年(昭和46年) 仮出所した梅田さんは、再三、再審請求をし、1982年
 
(昭和57年)ようやく無罪判決を得た。
 
有罪どころか無罪の物証があったようです。
 
 
問題点は、物証も無く、単に「自白」調書に頼ったことでした。
 
その自白もかなりひどいもので、コチラが詳しい。 →  梅田事件
 
 
この自白に関しては、かなりの拷問があったとされています。
 
 
戦前は、かなりの拷問による冤罪事件があったようですが、戦後直ぐの頃は
 
戦前の取調べをそのまま引き継いでいたんですね。
 
大変な時代でした。
 
今はもう、ないだろうな・・・・・・。
 
 
 
事件の名は、他の冤罪が地名で呼ぶのに、名前で呼ばれています。
 
 
 
 
追記なし

冤罪事件ー弘前事件

 


事件だ!事故だ!事件日記”のポップスおじさんです!
 
 
 
今回の冤罪事件は、弘前事件(弘前大学医学部教授夫人殺害事件)です!
 
 
 
[事件の経緯]
 
 
 
 1949年(昭和24年)、青森県弘前市で弘前大学医学部教授の夫人(当時
 
30歳)が刃物で殺害されました。
 
 
現場から道路に点々と付着していた血痕が途切れた所にある家の男性(当時
 
25歳)が別件で逮捕され、後に殺人容疑で再逮捕されました。
 
 
男性はアリバイがあるとして容疑を否認しましたが、着ていた開襟シャツに血痕が
 
付着していた事などを証拠に起訴されました。


 
 
一審では無罪でしたが、二審で懲役15年の有罪判決。
 
上告しましたが、1953年(昭和28年)最高裁で二審判決が支持され懲役15年
 
が確定。
 
 
1963年(昭和38年)仮出所。
 
 
ところが、1971年(昭和46年)に真犯人が名乗り出たので再審請求しました。
 
一度は再審も却下されましたが、発生から28年後、ようやく無罪判決が出まし
 
た。


 
 
 
この事件の重要な点は、疑惑の鑑定・ 開襟シャツの血痕 でした。


 
この血痕の鑑定は何人かがしています。
 
最初の鑑定人は、血痕と認定しなかったのに、以後の鑑定では、はっきり血痕と
 
認定されました。
 
 
無罪はわかっているんですから、現場の血痕と開襟シャツの血痕が一致する
 
はずが無いのに一致したんです。
 
 
ということは、誰かが血痕を開襟シャツに付着させたということが疑えます。


 
しかし、この鑑定に関する”重大な疑惑”については、未決着で収束しました。


 
 
 
ひどい話で、証拠が捏造されたと思われるのです。
 
そいう時代だったというだけでは、納得できないですね。
 
 
この事件の詳細は、コチラが詳しいです。 →  弘前事件


 

 
これは昔の事件だからといっても、ここまでひどくは無くても、最近、神奈川での
 
事件のように知り合いの証言だけで、何ヶ月も留置された青年がいました。
 
 
証言だけを信用して、その裏付けを警察が取らなかったことが原因でした。
 
 
冤罪、調べる方も大変だと思いますが、あってはならないことですね。
 
 
追記なし

冤罪事件ー松山事件


 
事件だ!事故だ!事件日記”のポップスおじさんです!
 
 
 
「死刑」判決からの生還、冤罪事件の第4弾、「松山事件」です。
 
 
事件の経過
 
1955年(昭和30年)、宮城県志田郡松山町、10月18日未明だった。
 
全焼した家の焼跡から一家4人{夫(53歳)、妻(42歳)、四女(10歳)、
 
長男(6歳)}の焼死体が発見され、死体解剖の結果、遺体の頭部に刃物による
 
傷跡があったことから、殺人放火事件と認定された。


 
少人数で続けられた捜査線上に、事件当日東京へ働きに出ていた斉藤幸夫さん
 
(当時24歳)が浮かび上がり、別件(喧嘩による傷害容疑)で逮捕された。

 
厳しい取調べで一旦は「自白」するが、翌日には「撤回」するということを繰り返した。
 
 
そして、第一審の仙台地裁は、「自白」や掛布団襟当付着血痕等を証拠に、有罪と
 
認定して、「死刑」を判決。
 
 
 
1984年(昭和59年)、再審によって、仙台地裁は斉藤に「無罪」判決を言い渡した。
 
無罪に28年7ヶ月間を費やした。
 
 
問題点は、証拠の変造 - - - 血痕であった。
 
 つまり、物証の掛け布団の血が押収された後に警察の手で血痕を付着させた
 
疑いがかなり強かったということです。
 
現場から押収した時に捜査官が撮った写真には1個しかなかった血痕が、
 
公判時には裏表80個以上もついていたてんです。
 
 
この事件の詳細はこちらです。 → 松山事件
 
 
犯人に出来そうな者にめぼしをつけると、手段を選ばずに「自白」させ、公判に
 
持ち込むという手法は、昭和20年代のほかの冤罪事件につながっています。
 
 
    「免田事件」    財田川事件  島田事件 
 
 
 
これらの事件で、血液鑑定した古畑種基東京大学教授という人のことも気に
 
なりますね。 一度調べてみよう。
 
 
 
追記なし

冤罪事件ー島田事件!

 
 

”事件だ!事故だ!事件日記”のポップスおじさんです!

 
冤罪事件は、「島田事件」です。
 
 
昭和29年(1954年)、静岡県島田市で起きた事件です。
 
幼稚園児の女の子(6歳)が誘拐され、島田市あげての捜査の結果、乱暴された
 
姿での遺体で発見された事件です。
 
 
犯人として逮捕されたのは、当時25歳の赤堀さんでした。
 
「自白」によって死刑確定。
 
 
「無罪」を叫び続けて、無罪釈放となったのは、1989年(平成元年)の静岡地裁で
 
した。
 
すでに35年近く経過していました。
 
 
この事件のポイントは、精神鑑定人が中立を守らず、検察側にたって偏った
 
精神鑑定をしたことです。
 
 
あってはならないことですが、自白剤の使用云々の話まででました。
 
 
詳しくはこちらでどうぞ。 → 島田事件
 
 
珍しくこの事件のその後が分かる文章はこちらです。 → 島田事件のその後
 
 
冤罪事件は、なくさなくてはいけませんね。
追記なし

冤罪事件ー財田川事件


 
”事件だ!事故だ!事件日記”のポップスおじさんです!
 
 
 
今回の冤罪事件は、「財田川事件」です。
 
 
昭和25年(1950年)、香川県で起きた家族と別居して一人暮らしをしていた
 
男性(63歳)が殺害されているのが発見された事件です。

 
 
 
事件の1ヵ月後、隣の神田村で起こった強盗傷人事件の犯人として谷口繁義さん
 
(当時19歳)と他1名が逮捕され、「財田川事件」の犯人として 追求された。
 
 
他の一人はアリバイが証明されたが、谷口さんははっきりしなかった為、警察は
 
谷口さんを殺人の犯人と決め付け長期間拘留して過酷な取り調べを続け、その結果、
 
谷口さんは、財田川事件を「自白」、強盗殺人罪で起訴された。
 
 
谷口さんは初公判の時から一貫して無実を訴えたが、「自白」を証拠とされ、
 
第一審の高松地裁で「死刑判決」、高松高裁への控訴および最高裁への上告は
 
いずれも棄却となり死刑が確定してしまった。
 
 
 しかし、・・・
 
 
 
1984年3月12日に”無罪”が宣言され、免田さんに続く2人目の、”死刑確定者の
 
 
再審無罪による生還”となりました。
 
 
 
 
どうして無罪を勝ち取れたか。
 
今回の無罪となったポイントは「自白強要」と「犯行手記の証拠捏造」です。
 
警察が本当にやったのかなと思う内容です。
 
 
 
あちらこちら、報告がありますが、ここが詳しい。 → 「財田川事件」
 


もう少し簡単でいいという人はこちらでどうぞ。 → 「財田川事件」

 
追記なし

冤罪事件ー免田事件!


 
事件だ!事故だ!事件日記”のポップスおじさんです!
 
 
 
現在の事件を追うのも大切だけど、少し時間がたつとすぐに忘れてしまう。
 
そこで、平成、昭和を問わずさまざまな事件も見てみようと思います。
 
 
 
そこで事件からは、一番気になる冤罪から事件を探してみます。
 
 
やはり、免罪事件といえば、初めて再審で無罪となった「免田事件」でしょう。
 
昭和23年(1948年)に起きた熊本県人吉市の事件です。夫婦が殺害され、娘さん二人も
 
重傷を負う事件でした。
 
 
犯人として逮捕されたのは、別件で逮捕されていた免田栄さん(当時23歳)だった。
 
それから35年後、1983年7月15日熊本地裁において、無罪が確定。
 
日本の裁判史上初めての”死刑確定者の再審無罪による生還”となった事件だ。
 
 
 
「冤罪」、あってはならないことだけど、昭和23年当時としたら、警察の考えも戦前の捜査
 
方法を踏襲していたことだろうから、自白を最優先にして尋問もしたようです。

 
この事件は、「アリバイ」が決め手になりました。
 
それはどんな「アリバイ」だったのでしょう。
 


 
「アリバイ」については、こちらでどうぞ。 →  「免田事件」


 
 
今でも自白強要の話もでますから、当時なら尋問した警察官も当然と思ったろうか。
 
なんとしても犯人を作り出すという恐ろしい時代ということだろうか。
 
 
これから事件を追うごとにわかっていくでしょう。
 

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